髪を下ろした彼は存外おとなしくなることに気づいたのは、一緒に暮らし始めてからしばらく経ってのことだ。普段、後ろに髪を流しておでこを晒したあの姿は、さながら彼の武装というところだろうか。

「百之助、髪乾かしてあげようか」

お風呂上がりの彼に声をかければ、下された前髪から覗く大きな黒い瞳がこちらを向く。可愛げのない悪態の一つでも飛んでくるかと思ったが、素直にこちらへ寄ってくると、ソファに腰掛ける私の足元に座った。大きな背中を見下ろしながらドライヤーのスイッチを入れる。後頭部は刈り上げているから乾くのは一瞬だ。肩を叩いて促して、くるりとこちらを向いた前髪に手を差し入れて梳くようにして風を当てていく。わたしの欲目かもしれないが、目を瞑っている彼の顔は心なしか気持ちよさそうだ。
警戒心が強く、人を寄せ付けない彼が身を委ねてくれているのが嬉しくて、たまらなく愛おしくなる。サラサラとした指通りを楽しむように撫でれば、もっとと言うように頬を擦り寄せてくるものだから、心臓は高鳴りっぱなしだ。

「ひゃく、」
「なんだ」

溢れる愛おしさのままに名前を呼ぶ。瞼を開いた彼の漆黒に映る私はゆるんだ顔をしていた。

「きす、してもいい?」
「…好きにしろ」

言葉とは裏腹に目を閉じて、キスがしやすいように顎を上げてくれる彼に、私の頬は緩みっぱなしだ。そっと静かに唇を重ねて離れると、至近距離で漆黒にとらわれる。吸い寄せられるようにまた唇を合わせれば、伸びてきた指が首筋や耳朶を擽りもっととねだる。擦り付けて、食んで、弾力を楽しむように唇を触れ合せていれば、もどかしさに堪えかねたのか、舌先が隙間から入り込んでくる。途端にキスが深まって、首を竦めて逃げようとするが、首裏に回った掌が許さない。たっぷりと貪られて、解放されるころにはすっかり息が上がってしまっていた。項垂れる私の首筋に顔を寄せた彼の唇が、皮膚の薄いところを甘噛みするように食む。ぞくりと背中を這い上がる劣情を堪えるように、深く息を吐いて甘えた音で彼の名を口にした。

「…ベッド行くか」

頷けば抱き上げて寝室まで抱えて行ってくれる。ベッドに優しく降ろされ、すぐに上に覆い被さってくる彼に手を伸ばす。目元にかかる前髪を払うように髪に手を差し入れて、顔を引き寄せる。こつん、とおでこを合わせれば、彼のまっくろな瞳がきゅうと細まって、身を委ねるように瞼を閉ざした。



190916