「ただいま~」
「おかえり。遅かったな」
「キリのいいところまでって思って作業してたら、思いの外時間食っちゃいました」

框に鞄を置いてヒールを脱いでいれば、鍵を開く音で気づいたのか、月島さんが出迎えてくれた。鞄を持って行ってくれた彼にお礼を言って、洗面所で手洗いうがいを済ませる。リビングへ足を向ければ、もう夕食を終えて晩酌中だったようで、テーブルの上にはビールの缶とおつまみ代わりの料理がいくつか並んでいる。

「飲んでるんですね、いいなあ」
「お前の分も買ってあるぞ」
「ほんとですか!やった~!」
「用意しておいてやるから、先に風呂入ってこい」

お酒を飲むとお風呂に入るのが面倒になる私を見越してのことだろう。素直に頷いて風呂場へ向かう。お腹が空いているしさっとシャワーを浴びて上がれば、脱衣所には着替えが用意されていた。スキンケアを済ませ、髪をタオルドライしてリビングへ戻る。

「おい、髪乾かさないのか」
「ちょっと自然乾燥させてから後でドライヤーします」

それよりも今は空腹を満たしたいと、食事の手を止めない私に呆れたような視線を向けた後、月島さんは席を立った。トイレにでも行ったんだろうか、と思っていれば、ほどなくして戻ってきた彼は席に戻らず、私の後ろに回る。
かち、とスイッチを入れる音がした後、ぶぅーんと鈍い音を立てて温風が背後から吹き付けてきた。思いの外やわらかな手つきで髪を梳くようにして風を当ててくれていて、なんだかくすぐったい。
お付き合いを始める前、月島さんは交際を散々渋っていたから淡白な関係になるのだろうと思っていた。ところが、付き合いだしてからの彼は意外にも甲斐甲斐しく、私はすっかり甘やかされている。
ドライヤーの風が止んだ後、髪の中に指を差し入れて乾き具合を確認していた月島さんの手は、仕上げのように頭を一撫でしてから離れていく。

「ありがとうござい、」

お礼を言おうと振り返った先には彼の顔が待ち構えていて、驚いて身を引くより先に、ちゅ、と軽く唇を奪われる。ぽかん、と間抜けに見上げる私を一瞥して、ご褒美、と何食わぬ顔をしてのたまった後、ドライヤーを片付けに行くために踵を返した背中を見送る。じわり、と遅れて羞恥がやってきて頬に熱が溜まっていくのは、決してアルコールのせいではない。叫び出したい衝動を堪えて、椅子の背に顔を埋めて悶えていれば、戻ってきた月島さんが何やってるんだ、と怪訝な声で問いかけてくる。

「月島さんのせいですよ!」
「何がだ」

じとりと恨めがましい視線を送るが、月島さんは席についてビールに口をつけながら首を傾げている。月島さんのことだからきっと無自覚でやっているんだろう。まったく心臓に悪いから、不意打ちはやめてほしいものだ。



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